2024年5月8日の未明に25歳の平沢俊乃さんの命を奪ったとされる和久井学。
2人の間には様々なトラブルがあったようですが、どうやら金銭が絡んだ問題が起きていたようでした。
和久井学は、平沢俊乃さんとの結婚資金のために大切にしていた「伝説のバイク」と呼ばれる非常に珍しいバイクや車を売却したようですが、なんと3000万円以上もするんだとか…!
今回は、和久井学が売ったとされるそのバイクや車の車種について詳しく調べてみました。
和久井学が所持していた「伝説のバイク」の車種はどこ?
和久井学は、以前からバイクや車を大切にしていたそうで、さらにその所持していたバイクも車もとても珍しい車種だったため非常に高額と言われているそうなのですが、なぜ売ってしまったのでしょうか?
まずは、和久井学がそのバイクや車を売るきっかけからご紹介していきます。
和久井学がバイクと車を売るきっかけは平沢俊乃?
和久井学は、以前平沢俊乃さんが働いていた飲食店に4〜5年前から来店していたとのことですが、ある時期からつきまとうようになり、その店の出入りが禁止された上に警察から警告されていたようです。
ですが、平沢俊乃さんは2022年になり再度警察に通報し、
と、今度は平沢俊乃さんが住む西新宿のタワーマンションに待ち伏せするようになったようです。
付きまといの容疑で警察に捕まった時には、和久井学は
と、結婚を前提に交際を申し込みOKをもらえたと話していたとのことです。
和久井学は本気で平沢俊乃さんと結婚することを考えていたようで、その資金のために自分が所持していた大切なバイクと車を売ったとのことでした。
和久井学が乗っていたバイクの車種はどこ?
和久井学は、バイクと車をとても大切にしていたそうなのですが、おそらくそれよりも平沢俊乃さんの方が大切だったのでしょう。
結婚資金のためにその大切なものを手放す覚悟を決めます。
そのバイクは「伝説のバイク」と呼ばれるほど大変レアなものだったようなのですが、その画像を見ると、
ボディに書かれているように、和久井学が乗っていたバイクは「ホンダ NR750」という車種であることがわかりました。
ホンダNRの詳しい説明は、このように書かれています。
ホンダ・NRは、1992年に発売されたロードスポーツモデル。
車名は「NR」が正式なものだが、排気量とレース用マシンの存在から、「NR750」とも呼称されることがあるため、ここでは併記した。
以下、NR/NR750の概略を示す。2ストロークエンジン時代のロードレース世界選手権(WGP)500ccクラスに、1978年から4ストロークエンジンのNR500で挑んだホンダ。
楕円形のピストンを採用しての冒険的挑戦は、華やかな結果とはならなかったが(その後、2ストのNS・NSRでWGPを制した)、そのNR500の挑戦から10余年を経て、「NR」の名を持つプレミアムモデルが登場した。かつてのNR500と同じ、楕円形ピストンは、気筒あたり2本の点火プラグと2本のコンロッド(チタン製)、吸気4本+排気4本の8バルブを持ち、V4レイアウトで747ccの排気量を得ていた。
ピストンを楕円形にすることで、実質上V8エンジンであるかのような構成だった。
カーボン製のフルカウルなど、車体装備もプレミアムで、当時の車両価格も520万円というものだった。
※2018年10月現在、市販車で唯一の楕円ピストン採用車である。
出典:BikeBros
このように、1992年に発売された車種なのだそうですが、車体装備もプレミアムで、他になかなかない仕様だったそうです。
現在は売るとなった場合には3,000万円以上もする超プレミア価格になるとのことです…!
和久井学が所持していた車の車種はどこ?
和久井学は、バイクだけでなく車に乗るのも大好きだったようで、自身の愛用している車に乗ったり、気になった車をカーシェアで試乗してみたりと、車自体もとても好きなようでした。
その和久井学が大切にしていた車の画像もご紹介します。
和久井学が持っていた車も、バイクと同じく真っ赤だったので、赤い色が好きだったようですね。
調べたところ、この車はACURA(アキュラ) NSX NA1という車種のようです。
NSXも1990年代に販売された車で、現在は非常に珍しい車種となっているようです。
販売当初でも800万円ほどと、1,000万円に近い高額な車だったようなのですが、現在はプレミア価格となっており、売るとなった場合は2,000〜3,000万円ほどすると言われているそうです…!
まとめ
このように、和久井学が所持していたバイクと車はどちらも非常に珍しい車種で、売るとなった場合も超高額で取引されるものであることがわかりました。
ここまで珍しい車種で、さらに愛用していたものだったなら手放してしまうのはとてももったいない気がしてしまいますが…
おそらく和久井学にとってはこのバイクや車よりも、平沢俊乃さんと歩む人生の方が大事だったということになりますね。
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